現在日本ではチラシのポスティングが一般的な広告手法として展開されています。

一方、海外では日本に比べて多くはないものの有用な広告手法として捉えられています。

また、海外ではポスティング用のチラシがさまざまな用途や方法で配布されており、非常に長い歴史があります。

そこで今回の記事では、海外におけるポスティングチラシの歴史について起源と当時の社会背景を加味して解説します。

またポスティングに関する情報を網羅した記事がこちらにありますので、他にも知りたいことがあれば確認してみてください。

[sitecard subtitle=関連記事 url=https://www.gg-pr.jp/all_about_posting/ target=]

海外におけるポスティング用のチラシの起源は古代エジプト

ポスティング用のチラシの起源は古代エジプトであると言われています。

当時の用紙として使用されていたのはパピルス紙です。
パピルス紙とは、パピルスというイネ科の植物の繊維を薄く伸ばした後、貼り合わせたものであり、古代エジプトではチラシだけではなく、手紙や書籍などさまざまな用途に使用されました。

しかし、パピルス紙は植物の繊維を貼り合わせただけのものであることから、強度に問題があり、さらにカビに弱いといった欠点がありました。

パピルス紙に代わって強度があり文字の修正が可能な羊皮紙も誕生しましたが、製造にコストがかかることから、長年にわたりパピルス紙が使われ続けました。

紀元9世紀に中国から紙の製造方法が伝わると、次第にパピルス紙は使用されなくなりました。

海外におけるポスティング用のチラシの歴史

海外におけるチラシやビラの歴史は長く、紀元前から配布されていたと言われています。

海外で配布されていたチラシの歴史について、時代区分ごとに分けて解説します。

・古代におけるチラシ
・中世におけるチラシ
・近世におけるチラシ
・近代におけるチラシ
・現代におけるチラシ

古代におけるチラシ

現存する最古のチラシはエジプトのテーベ遺跡から発掘されたパピルス紙製のものであり、紀元前1000年ごろのものと推測されます。

このチラシに掲載されていたのは、都市テーベの機織り屋ハプーから逃げ出した奴隷の捜索願であり、奴隷を見つけ出した人には金の装飾品を渡すという内容でした。

また、チラシには奴隷を捜索して欲しいという内容に加えて、機織り屋の宣伝も掲載されており広告としての役割も担っていたことが分かります。

他にも、元々ミイラの制作用に使われていた香料などが、美容に良いという理由から女性の化粧品として使われ始め、その化粧品の効能を謳ったものも見つかっています。

中世におけるチラシ

アジアで最も古く印刷されたチラシは10世紀~12世紀の北宋時代に銅板で印刷されたものであり、鉄製の針を宣伝するものでした。

一方で、ヨーロッパにおける最も古い活字で印刷された広告チラシとしては、イギリス人のカクストンが1480年に印刷したビラです。

カクストンはイギリスに初めて活版印刷を導入した人物であり、彼が印刷したビラは、彼が刊行した書籍を売るためのもので、ロンドン内のさまざまな場所に貼付されました。

ヨーロッパでは、ルネサンス期の1450年にドイツ人のグーテンベルグにより「活字」と呼ばれる鉛にインクを転写して印刷する「活版印刷」が発明されました。

活版印刷により簡単に印刷できるようになったことから、チラシを含めさまざまな印刷物が発行され広告やマーケティングに大きな変革をもたらしたのです。

当時、人が多く集まる場所や教会に貼られるビラはラテン語で「サイキス」と呼ばれていました。

サイキスは日本語で「もしもどなたか?」と訳され、当時の大半のチラシの文面がサイキスで始まっていたことが由来となっています。

活版印刷は、羅針盤と火薬と合わせて「ルネサンス三大発明」と言われ、瞬く間に印刷産業の中心になったことなど、ポスティングチラシを広めた活版印刷の歴史を紹介した記事もあります。

[sitecard subtitle=関連記事 url=https://www.gg-pr.jp/posting_kappaninsatsu/ target=]

近世におけるチラシ

17世紀の近世に入れば、イギリスにおいて絵入りのチラシが誕生しました。

絵入りのチラシは銅板で印刷されており、中世のようにどこかに貼付されるのではなく、手で配布されていました。

絵入りのチラシの大きさは名刺サイズから現在のA3用紙に近いサイズまであり、衣料品や生活雑貨など色々なものが印刷され、一般的な労働者から貴族までさまざまな階層に利用されていました。

しかし、1600年代イギリスで内戦が始まるとチラシは広告としてではなく、政治的なプロパガンダとして利用され始めました。

この時代から、チラシは軍隊を結集させ、敵と戦うための動機付けとして使用されたのです。

近代におけるチラシ

2つの世界大戦など戦争の時代とも言える近代においては、商業目的よりも軍事目的としての色が強くなりました。

この時代のチラシは日本語では「伝単」、英語では「レターボム」と呼ばれ、敵国にばら撒き、チラシを読んだ敵兵の戦意を喪失させることを目的としていました。

初期のレターボムとしては1870年の普仏戦争において、フランス軍が敵対するプロイセン軍に向けて気球を使って撒いたと言われています。

1914年から始まった第一次世界大戦では、軍用飛行機が実用化されたことで、さまざまな国でレターボムが軍用飛行機から散布されました。

1939年から始まった第二次世界大戦では、レターボムはさらに数を増し、戦争に参加した各国が最大数億枚も印刷し、空から散布したのです。

日本でも、アメリカ軍によって空爆を予告する伝単が撒かれています。

現代におけるチラシ

世界大戦後、これまで軍事目的だったチラシが商業用のものへと戻り、印刷機械の大型化や印刷スピードの高速化が進むことで、印刷した広告物がこれまで以上に普及しました。

また、世界各国で発生したベビーブームに合わせて、日用品や車などさまざまな商品のチラシが配布されました。

さらに1970年にはカラーコピー機が開発され、印刷物のデザインや形が多様化し、顧客に直接広告を行う手法として、チラシの利用が非常に重要になったのです。

日本では、客を惹きつけるという意味から「引き札」と呼ばれていたものがチラシの起源で、それは江戸時代に始まったことなど、日本におけるポスティングチラシの歴史をまとめた記事も作っています。

[sitecard subtitle=関連記事 url=https://www.gg-pr.jp/posting_rekishi/ target=]

海外におけるポスティング用のチラシの歴史について解説まとめ

・ポスティング用のチラシの起源は、紀元前1000年頃の古代エジプトで使用されていたパピルス紙であり、逃げた奴隷の捜索願と共に広告を載せていました。

・中世や近世では、商業広告としてのチラシの配布が始まり、当時のマーケティングに大きな変革が起こりました。

・近代はチラシが軍事目的で利用されるようになりましたが、戦後はチラシが商業用に戻り、印刷技術の発展と共に、顧客に直接広告を行える重要な広告手法となりました。

参考
1).『広告の世界史』1994年 日経広告研究所発行