「引き札」は、江戸時代から大正時代まで使用された宣伝方法であり、現在のポスティングチラシの元と言われています。
印刷技術の向上により、引き札が安価にできるようになるとともに、効果的な広告方法として多く用いられるようになりました。
今回はポスティングチラシの元となる、引き札を広めた印刷方法の歴史について解説します。
またポスティングに関する情報を網羅した記事がこちらにありますので、他にも知りたいことがあれば確認してみてください。
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ポスティングチラシの元となった引き札の印刷方法の歴史
江戸時代に木版印刷が開発されてから、印刷技術は進化を遂げ大正時代に活版印刷という方法に発展しました。
ポスティングチラシの元となった引き札の印刷方法にはどのような進化があったのか、各時代ごとの印刷技術を解説していきます。
・明治時代の石版印刷と銅版印刷
・大正時代の活版印刷
江戸時代の木版印刷
木版印刷とは、木の板を彫って文字や絵を浮かび上がらせ墨や絵の具を塗り、バレンで紙を擦って絵や文字を写しとるという技術です。
手作業で木の板に文字や絵を彫る彫刻師、他にも墨や絵の具を塗る職人、紙に写しとる職人などがいました。
それまで商売は、裕福な家や武家など特定の客を訪ねて販売し個別に契約をしていたため、商品を広く周知する必要がありませんでした。
このため、不特定多数の人々に商品を周知する必要がなく、チラシのような存在はありませんでした。
その後、現代に近づくにつれ印刷技術の発展と、専売していた商店が庶民に向けても販路を拡大したことにより、広告として効果をもたらすチラシの重要性が高まったようです。
当時、多色刷りなどはめずらしいものであったため、チラシを配布すれば家の中に長い間飾られていました。
明治時代の石版印刷と銅版印刷
明治時代になると木版印刷から石版印刷、銅版印刷へと技術が進化していきます。
石版印刷とは、石灰石でできた石の板に油が原料の絵の具を塗り、その表面に水を塗ると水と油の反発作用で、絵の具の部分だけが紙に移るという技術です。
木版印刷のように、手彫りをする必要がないため素早くできあがるメリットがありました。
一方で、石灰石は高価であり、またデメリットとして一度表面を使ったら研磨しないといけない手間があったため、広く普及しなかったのでしょう。
その後、銅版印刷が用いられるようになります。
銅版印刷とは、銅の板にダイヤモンドのような硬い石で文字や絵を削る方法で、木版印刷と同様の作り方です。
銅なので、木版のように板が劣化し文字が潰れて見にくくなるということがなく、墨の濃淡や線の鋭さなどが正確に表現できるようになりました。
現代でも銅版印刷は利用されている技術です。
手で彫るものなので、偽物を製造しづらく、主に偽造防止のため貨幣制作などに利用されています。
大正時代の活版印刷
活版印刷とは、すでに金属などで文字を形取ったものを並べ、その上にインキを塗って紙に写す技術です。
板を彫ったり、削ったりする必要がないため、今までの印刷方法より圧倒的に印刷スピードが速くなりました。
活版印刷は、文字数の少ないアルファベットを使用していたヨーロッパなどの国では、すでに普及していた印刷技術ですが、日本はひらがな、カタカナ、漢字など文字数が膨大なために普及していませんでした。
それが日清・日露戦争を契機に、戦況を早く知りたいというニーズから、活版印刷を用いて速く大量に印刷する方向に進みます。
情報を速く正確に伝える重要性は、現代も同じです。
活版印刷は、文字を転写した際の凹凸で感触を楽しむことができ、作品1つ1つに個性が出るなど、今でも根強い人気があるこの印刷方法の歴史についてまとめた記事も作っています。
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ポスティングチラシの元となった引き札が活版印刷の普及でチラシに変化
大正時代に活版印刷が主流となり、それに伴って引き札が普及し、現代のチラシとなりました。
そこで、なぜ活版印刷の普及で引き札が現代のチラシに繋がっていくのか、主な理由をあげて解説していきます。
・読み書きできる人が増えたため
・キャッチフレーズが多彩になったため
・引き札は現代のポスティングチラシに繋がる
引き札作成費が軽減したため
手彫りは手作業で時間もかかるため、膨大なコストがかかり、経費を抑えるには文字数を限定する必要がありました。
一方で、彫る必要のない活版印刷は手間が少なく費用も安く済み、一般の商店にも宣伝手段として引き札が用いられるようになりました。
このように、現代のチラシと同じ大量に配るという用途で引き札が普及していきました。
読み書きできる人が増えたため
大正時代から読み書きができる人が多くなったのも、引き札の普及、ひいては現代のチラシになる要因になりました。
大正時代からは様々な技術の向上により、見たことのない商品が販売されるようになったので、新たな商品について使用方法や効果などを説明する必要がありました。
多くの人にどのような商品なのか文章で伝えられる引き札の宣伝効果が期待され、普及に繋がりました。
キャッチフレーズが多彩になったため
絵で読み手を惹きつけるだけでなく、キャッチフレーズを使って商品を記憶してもらうという手段も明治後期から大正時代に始まりました。
キャッチフレーズで代表的なのは、三越呉服店の「今日は帝劇、明日は三越」というフレーズです。
帝国劇場で観劇したあとは、三越で買い物をするのが当時のステータスになりました。
また、明治時代のキャッチフレーズは、「滋養強壮」など実用性を主張したものが多かったのですが、大正時代になると「カルピスは初恋の味」など美的センスを訴求する内容に変わっていきました。
キャッチフレーズの進化に伴い、引き札の影響力の強さが再度示され、一層普及しました。
引き札の内容は現代のポスティングチラシに繋がる
このような読み手の注意を引くキャッチフレーズや写真、イラストなどは、現代のポスティングチラシに採用されている手法です。
また、当時引き札は各家庭のデータを使った配布などができず、全ての家庭に戸別配布していました。
現在は、全戸配布やデータに基づくターゲットを選別して配布するセグメント配布など、配布方法が発展しました。
他のチラシと配布する併配、配布期間、配布するエリアなど様々な要因で料金が変動するようになっていますので、ポスティング業者の価格を比較すると良いでしょう。
そのほか、「紙を散らすように撒く」ことからチラシという言葉が生まれ発展した時代や、戦争によってチラシが衰退した時代など、日本のポスティングチラシの歴史について詳しく紹介した記事も作っています。
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ポスティングチラシの元となった引き札を広めた印刷方法の歴史について解説まとめ
・木版印刷、石版印刷、銅版印刷、活版印刷と印刷方法が発展するにつれ、チラシの元となった引き札が普及していきました。
・一般庶民も宣伝する対象になったため、商品について広く知らせる必要があり、引き札が強力な宣伝手段として普及しました。
・絵やキャッチフレーズ、全戸配布など現代のポスティングにも受け継がれている宣伝方法を引き札は持っていました。
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